初音ミク10周年に未来を描いたwowaka【アンノウン・マザーグース歌詞考察】
2019/06/15
wowakaさんの新曲、アンノウンマザーグース
初めて聞いた時
おもわず胸にこみ上げるような感覚になり
どうしても自分なりにこの気持ちを言葉にしたいなと記事にしました。
wowakaさんはニコニコ動画で
人気を博したボカロPです。
初音ミク10周年に発表された新曲
アンノウン・マザーグース。
新曲発表が6年ぶりとなるので、wowakaさんのファンはネットで大喜び、お祭り騒ぎでした。
僕もあまり初音ミクは聞かなかったのですが
彼の作品だけは大好きでCDまで借りて何度も何度も聞いていました。
今回の曲も気に入り何度も聞いていますが
すごく含みのある歌詞のように思えてなりません。
そこで、彼のインタビューなども合わせて
歌詞の考察をしてみようと思います。
僕なりの解釈になりますが、かなりボリュームのある内容になっております。笑
長くなりますが、お付き合い下さいませ!!
目次
アンノウン・マザーグースの解釈・考察
PVと歌詞
あたしが愛を語るのなら
その眼には如何、映像る?
詞は有り余るばかり 無垢の音が流れてく
あなたが愛に塗れるまで その色は幻だ
ひとりぼっち、音に呑まれれば
全世界共通の快楽さつまらない茫然に溺れる暮らし
誰もが彼をなぞる
繰り返す使い回しの歌に
また耳を塞いだ
あなたが愛を語るのなら
それを答とするの?
目をつぶったふりをしてるなら
この曲で醒ましてくれ!誰も知らぬ物語 思うばかり
壊れそうなくらいに
抱き締めて泣き踊った
見境無い感情論 許されるのならば
泣き出すことすらできないまま
呑み込んでった
張り裂けてしまいそうな
心があるってこと、叫ばせて!世界があたしを拒んでも 今、愛の唄
歌わせてくれないかな
もう一回 誰も知らないその想い
この声に預けてみてもいいかな
あなたには僕が見えるか?
あなたには僕が見えるか?
ガラクタばかり
投げつけられてきたその背中
それでも好きと言えたなら
それでも好きを願えたら
ああ、あたしの全部に
その意味はあると――ねえ、愛を語るのなら
今その胸には誰がいる
こころのはこを抉じ開けて
さあ、生き写しのあなた見せて?
あたしが愛になれるのなら
今その色は何色だ
孤独なんて記号では収まらない
心臓を抱えて生きてきたんだ!ドッペルもどきが 其処いらに溢れた
挙句の果ての今日
ライラ ライ ライ
心失きそれを 生み出した奴等は
見切りをつけてもう
バイ ババイ バイ
残されたあなたが この場所で今でも
涙を堪えてるの
如何して、如何して
あたしは知ってるわ
この場所はいつでも
あなたに守られてきたってこと!痛みなどあまりにも慣れてしまった
何千回と巡らせ続けた 喜怒と哀楽
失えない喜びが この世界にあるならば
手放すことすら出来ない哀しみさえ あたしは
この心の中つまはじきにしてしまうのか?
それは、いやだ!どうやって この世界を愛せるかな
いつだって 転がり続けるんだろう
ねえ、いっそ
誰も気附かないその想い
この唄で明かしてみようと思うんだよ
あなたなら何を願うか
あなたなら何を望むか
軋んだ心が 誰より今を生きているの
あなたには僕が見えるか?
あなたには僕が見えるか?
それ、あたしの行く末を
照らす灯なんだろう?ねえ、あいをさけぶのなら
あたしはここにいるよ
ことばがありあまれどなお、
このゆめはつづいてく
あたしがあいをかたるのなら
そのすべてはこのうただ
だれもしらないこのものがたり
またくちずさんでしまったみたいだ– 「初音ミクwiki・アンノウン・マザーグース」 より引用-
僕の中でボカロと言えば一番に名前が出てくる人、wowakaさんの曲のらしさが前面に出ているなと思います。
しかし、昔の曲と比べてサビの終わりに情緒を感じさせます。
彼はどのような気持ちでこの曲を作ったのでしょうか。
インタビューと曲への想い
考察するに当たり、インタビューや
wowakaさんのツイッターなど
曲に対する想いなどを語っているものに目を通しました。
インタビュー記事
ツイッター
— wowaka (@wowaka) 2017年8月24日
この中でwowakaさんが非常に大切となるワードを語っています。
『なんだかミクと自分自身が重なって思えてきて、じゃあそういう設定で自分と初音ミクについて、今言えることを全部言ってしまおうという気持ちで作りました。』
そう
初音ミクと自分自身を重ねて作られた歌だと。
誰も知らない物語
まずタイトルの
「アンノウン・マザーグース」ですが
直訳すると
「Unknown Mother Goose-誰も知らないガチョウおばさん」となります。
マザーグースとは日本でいう日本昔話のような
伝承をまとめた英語の伝承童謡の総称となっています。
ここの曲の中では、あくまで物語としての総称として使われている様に感じます。
詳しくは後述しますが、タイトルの意味としては「誰も知らない物語」といったところでしょう。
ミクとwowakaの視点から歌われた歌
この歌は一人称で歌われています。
この一人称は誰の事を指すのでしょうか。
この歌の中には
「あたし」「あなた」「僕」「彼」
4種類の人を指す言葉が出てきます。
歌詞の一行目には
あたしが愛を語るのなら その眼には如何、映像る?
とあります。「映る」をあえて「映像る」と表記しており、それは【映像】と言う事を強く感じさせたかったのでしょう。
映像でうつると言う事は
映像を通してどう見えるかと尋ねています。
初音ミクはバーチャルな存在なので
映像を介してのみその存在を認識できます。
つまり、初音ミクが映像を通して映った姿をどう見えるかと尋ねています。
このことから、歌い上げているのは
初音ミク自身と言う事になります。
そうなると対応する「あなた」とは
曲を聴いている我々自身であると言う事になります。
「彼」というワードは歌の中で一度しか出てきていないため、おそらく第三者を語っているのでしょう。
この歌の基本構成は
- 初音ミク・wowaka「あたし」「僕」
- 曲を聴いている人「あなた」
で出来上がっています。
音楽を作る喜び
詞は有り余るばかり 無垢の音が流れてく
あなたが愛に塗れるまで その色は幻だ
ひとりぼっち、音に呑まれれば 全世界共通の快楽さ
この歌詞では、音楽を作ることについて語っているように思います。
現代において、自己表現で自分を語ることは本当に簡単です。
ツイッターに書き込んでボタンを一つ押すだけでそれは全世界に発信されます。
無垢の音とは、おそらく初音ミクの音楽の事でしょう。
無垢は純粋や清らかである状態、初音ミクに当てはめるのなら、何も調教されていない状態です。
愛に塗れるまでその色は幻と歌われており
「愛に塗れる-歌を作るに至るまで自分に感情があふれる」
まで幻想だと言っています。
一人ぼっち音に呑まれればとは
自分自身で音楽と向き合う事なのでしょう。
はるか昔から自己表現は言葉以外にも音楽を通じて行われてきました。
つまり、音楽を通して自分を表現することは全世界共通の快楽だと。
このように音楽を作ることの意味や魅力を語っているように思います。
君の心はそれでいいの?
つまらない茫然に溺れる暮らし 誰もが彼をなぞる
繰り返す使い回しの歌に また耳を塞いだ
あなたが愛を語るのなら それを答とするの?
目をつぶったふりをしてるなら この曲で醒ましてくれ!
「茫然に溺れる、誰もが彼をなぞる」とは
思考を停止させて誰もが先人の後を追うと言う事でしょう。
恐らく、wowakaさんの後を追っていたボカロ界の人間を暗示(そう感じていたwowakaさん自身の主観的な考えがあるでしょう)しているようです。
にて
wowaka 2010年から2011年くらいまでは「すごくカッコいいシーンの中にいる」という実感があったんだけど、少しずつ「そうじゃないんだよね」というところも見え始めてきたんです。ちょっと安直と言うのかな。「こうすればいいんでしょ?」「こういう曲が好きなんでしょ?」みたいなものが増えてしまって。曲自体もそうだし、表現の仕方もそうだし。嫌われるのを覚悟で言いますけど……。
DECO*27 どうぞ。
wowaka 「wowakaみたいな曲を書けばいいんだろ?」みたいな(笑)。
DECO*27 わかる。「BPMが速ければいいんだろ?」とかね(笑)。
wowaka そうそう。俺はもちろん、そんなモチベーションでは作ってなかったから
と話しています。
自分の気持ちをのせずに、曲調を真似して、思考を停止して作られた数多くの曲たち。
どうしても似てきてしまう、流行の使い回しの曲に思わず耳をふさいでしまいたくなったのでしょう。
これはボカロpとして活躍したwowakaさんの心情でしょう。
ここからぐっと初音ミクが僕らに語りかけてきます。
『あなたが愛を語るのなら それを答とするの?』と。
こんな使いまわしの曲たちで、君たちの愛-心の中-は語れるのかと。
どこかで目をつぶり顔をそむけているのならば
この曲で覚醒してくれと叫んでいるのです。
wowakaさんが音楽を作る意味
誰も知らぬ物語 思うばかり
壊れそうなくらいに 抱き締めて泣き踊った
見境無い感情論 許されるのならば
泣き出すことすらできないまま 呑み込んでった
張り裂けてしまいそうな心があるってこと、
叫ばせて!
痛みなどあまりにも慣れてしまった
何千回と巡らせ続けた 喜怒と哀楽
失えない喜びが この世界にあるならば
手放すことすら出来ない哀しみさえ あたしは
この心の中つまはじきにしてしまうのか?
それは、いやだ!
自己表現の多くの原動力は自らのマイナスの気持ちです。その感情を表現として昇華させることで折り合いをつけるものです。
それはwowakaさんも変わらないようです。
wowakaさんが中核を担うバンド
ヒトリエが受けたインタビューにてこんなことを語っています。
wowaka
「ONE ME TWO HEARTS」の方は、ずっと自分が表現してきているテーマのことなんですね。自分の内側にいるもう一人の自分との葛藤、という。それを自分で消化して吐き出したときに、ものすごいエネルギーが生まれるし、僕はそういう状態がすごく格好いいと思う。そういうことを言いたくてこのバンドをやってるようなところがある。そういう思いを「ONE ME TWO HEARTS」っていう言い方で示したという。──自分の内側にいるもう一人の自分との葛藤、そしてそこからエネルギーが生まれるということは、なぜwowakaさんにとって表現の核心になり続けているんでしょうか?
wowaka それは僕自身の話ですよね? なんだろう……。生まれ育った環境と、そこで経験してきたことが要因になっていると思うんです。いろんなものへの憧れだったり、恨みつらみ、妬みやそねみのようなものだったり。頭じゃわかってるけど、身体が付いていかないことだったり。
具体的に言うと、たとえばクラスに馴染めないとか、人と上手くコミュニケーションがとれないとか。そういうネガティブな部分を自分はいろいろ経験してきたんですね。でも、そのネガティブなものが「これを糧にして頑張るぞ」みたいな原動力にもなっていない。それができるのは強い人なんですよ。
ゆーまお 健康的な人だよね。
wowaka そう。頑張れちゃう人じゃないですか。自分はそうでもないんですよね。だから、そういったもやもやをどうしようもなく自分の中で噛み砕いて、そのすえに吐き出してしまうものが自分の音楽になる。そういう感覚でずっとつくってるような気がしてます。
──なるほど。吐き出したものとして音楽をつくっている。
wowaka でも、そうやって吐き出した瞬間に、なんか自分が救われる気がするんです。音楽は美しいものだと思うし、こういうやり方なら、自分の感情をこんな格好いいことに落とし込めるんだっていう。そういうつくり方はずっと変わってない気がしますね。
──それは昔からずっとですか?
wowaka そうですね。ボカロやってたときも、バンドを始めて4年くらい経つ今も、選ぶ言葉や表現の方法は変わってきているけれど、根っこの部分にある原動力は変わらない。
誰も知らない物語とは
自分の中での言葉にすることも糧にすることも出来ない気持ちの総称でしょう。
自分の中での葛藤を抱えて
その葛藤・もう一人の自分と一緒に泣き踊って
そうして張り裂けそうになっているその思いを叫ばせてくれと。
音楽として昇華させる自らの心のうちを語っています。
一番のサビは存在意義
世界があたしを拒んでも 今、愛の唄 歌わせてくれないかな
もう一回 誰も知らないその想い
この声に預けてみてもいいかな
あなたには僕が見えるか?
あなたには僕が見えるか?
ガラクタばかり 投げつけられてきたその背中
それでも好きと言えたなら
それでも好きを願えたら
ああ、あたしの全部に
その意味はあると――
2017年現在、初音ミクの人気は最盛期よりも下火になってきているでしょう。
それを世界が拒むことに例えて、それでも気持ちをのせて歌を歌わせてほしいと叫んでいます。
言葉にしないと誰も知らないその気持ち
その想いをこの「ミクの声」に載せて表現してみてもいいんじゃないだろうかと。
あなたには初音ミクが見えているか?
(あなたにはwowakaが見えているか?)
ガラクタのような曲や言葉を投げかけられてきたこの背中
(曲の非難や自分に追随する信念の感じない曲を投げかけられてきたこの背中 )
それでもミクの事が好きなら、好きと願えたら
(それでもwowakaの事が好きだと言ってくれるなら)
ああ、あたし(ミクとwowaka)の全部に
その意味はあると
サビはミクとwowakaさんの両方の気持ちを重ねた詞のような気がします。
自分がかつて人気のボカロPとして存在してきたその意義
一大ブームメントとして日本に定着した初音ミクの存在理由。
その二つを歌を聴いているあなたの手によって肯定してほしい。
そう歌っているように聞こえます。
気持ちを表現し続けるミクのP達への想い
ねえ、愛を語るのなら 今その胸には誰がいる
こころのはこを抉じ開けて さあ、生き写しのあなた見せて?
あたしが愛になれるのなら 今その色は何色だ
孤独なんて記号では収まらない 心臓を抱えて生きてきたんだ!
ねえ、と話しかけ始める相手は愛を語ろうとしている、ミクを通して自分を表現をしようとしているミクのP達でしょう。
生き写しのあなたとは自分の気持ちを込めたミクの事です。
「孤独なんて記号」というように、あなたの中の鬱屈した気持ちの中でもしっかり生きている事を表してくれと表現しているのでしょう。
ドッペルもどきが 其処いらに溢れた
挙句の果ての今日
ライラ ライ ライ
心失きそれを 生み出した奴等は
見切りをつけてもう
バイ ババイ バイ
残されたあなたが この場所で今でも
涙を堪えてるの
如何して、如何して
あたしは知ってるわ
この場所はいつでも
あなたに守られてきたってこと!
気持ちを表現しているP達に、ミクとwowakaからの想いがこの詞に詰まっています。
上記にも書いたように
ドッペルもどきは信念無しの後追いP達が溢れ
たどり着いた現在のボカロ界
心の無い曲たちを生み出し連中は
ボカロ界に見切りをつけて去ってきました。
しかし、残されたP達が未だこの場所でこらえている。
でも初音ミクは分かっている。
ミクは、ボカロ界は、あなた(ボカロP達)によって守られてきた事を!!
2番のサビはミクの将来
どうやって この世界を愛せるかな
いつだって 転がり続けるんだろう
ねえ、いっそ
誰も気附かないその想い
この唄で明かしてみようと思うんだよ
あなたなら何を願うか
あなたなら何を望むか
軋んだ心が 誰より今を生きているの
あなたには僕が見えるか?
あなたには僕が見えるか?
それ、あたしの行く末を照らす灯なんだろう?
どうしたらめまぐるしく動き続ける世界を愛せるのだろうと、この世界への向き合い方を考え
その表現としてミクを使ってその気持ちを外に出してみよう2番目のサビ前半で提案しています。
そしてここまでの曲の全てを聞いたうえで
あなたは何を望むのか
あなたは何を願うのか
傷ついているあなたのその心が他の誰よりも
今この瞬間、生きている
あなたには僕(ミク)が見えているの?
そのあなたの中にくすぶっている
鬱屈したその気持ちが
それがあたし(ミク)の行く末を照らす
大切な灯になるんでしょう?
と、問いかけてきます。
初音ミクがあなたの、誰かの気持ちを歌に乗せて伝え続ける限り、行く末を強く照らす大切な灯りになる!
wowakaさんが考える
初音ミクの将来性と普遍性を語っています。
初音ミクが歌っている。
伝えたい気持ちがある限り
初音ミクには未来がある。
エピローグですべてを纏める
ねえ、あいをさけぶのなら
あたしはここにいるよ
ことばがありあまれどなお、
このゆめはつづいてく
あたしがあいをかたるのなら
そのすべてはこのうただ
だれもしらないこのものがたり
またくちずさんでしまったみたいだ
愛を叫ぶの、自分の気持ちを表現するなら
初音ミクがいる。
この世の中に言葉がたくさん有り余っているけれども、初音ミクをまつわる夢は続いていく。
あたし(wowaka)が自分自身を語るのなら
今そのすべてはこの歌だ。
最後の、また口ずさんでしまったみたいだ。
で終わるのが常々この曲で表したことを感じていて、ふっと思い浮かべてしまったみたいだ。
とあらわしているように思います。
「アンノウン・マザーグース」の考察を通して、この歌が伝えたかったこと
「アンノウン・マザーグース」誰も知らない物語
タイトルのこの誰もの知らない物語とは
自分の中に抱えている想いであると考察したかと思います。
全体を通して
10周年を記念して作られたこの曲は
初音ミクを通じて曲を作る意義と
それによってみんな自己表現が必要な人に初音ミクが届いてほしい。
そしてそれが初音ミクの存在意義であり将来につながる
といった意味合いのように考えます。
この考察の後、みなさんの中で曲を深く聞けるようになってくれると嬉しいです。
そして、wowakaさんの願いのように
自分の中で鬱屈した感情を抱えて生きている人に
初音ミクや音楽が解決の手段としてあればいいなと思います。
上記のながーい考察をここまで読んで頂きありがとうございます。
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